金沢市宝町で女子専用学生寮をして今年で11年目になります。寮母の住田早智です。
令和6年1月1日、今までに起きたことのない地震、自然災害がこの石川県で起きました。
当館の学生さん、9人の方がそれぞれ帰省されていましたが、
そのうち3名の方は震源地となっている能登です。
この地震で、金沢でもその揺れは大きく、道路の液状化、物の落下という
経験したことのない事態が生じました。
なおのこと、震源地となった能登半島は、想像を絶する状況が起きていました。
余震の合間をぬぐいながら、彼女たちとその家族の安否が気になりましたが、
現状として私たち自身もそれを心配できる程の余裕はありませんでした。
余震におびえながら、時間と不安がどんどん募る中、1本の電話が鳴りだしました。
「○○です。無事です。家族も無事です!」この1本の電話で、私はどれだけ救われたか。
家は壊れ、水も電気も止まった中、電話を真っ先にかけてきてくれたその思いに、
ただただ「よかった~よかった~」を繰り返しました。
そのあとを追うようにもう1本の電話。
「家族みんな無事です!」
能登にいる3人の子のうち2人からはすぐに連絡がありました。
しかし、震源地に一番近い、一番被害が多いと思われる子からの連絡はありません。
電波は途絶え、電話もつながらない長い夜。
不安で不安で押しつぶれそうな朝を迎えると、1本の知らない番号から電話があったのです。
「○○の母です。無事です。でも道路が寸断され、ここから動けません。
金沢にはいつ戻れるかわかりませんので、ご連絡まで」と。
嬉しいのか悲しいのか、不安なのか安心したのか、
私の心は滅茶苦茶でしたが、無事を確認できたことだけで、もう十分です。
そして、今私にできるのは「待つこと」だと確信した瞬間でした。
それから数日後、その子が会館に帰ってきました。
「今金沢に向かっています」メールを受け彼女を待ち続けた半日。
お父様が7時間かけて、寸断され、割れた道をくぐるように、ここまで連れてきてくださったのです。
車が止まり、彼女を見るなり、年甲斐もなく「無事でよかった~」と抱きしめてしまいました。
それから順次、能登の子たちが会館に戻ってきました。
今は、当たり前の日常がおくれています。でもそれは、本当はとても貴重な毎日なのだと実感しています。
年を取ると涙腺が緩くなります。
今日という日がいかに大切で、ありがたいかを、この子たちを通して教えてもらいました。